Grokによる大袈裟な紹介(8)

※連絡事項、Kingのnoteページの紹介文を生成AIに丸投げしました。ソレっぽい感じで仕上がりました

https://note.com/kinguncle45


後期ウィトゲンシュタイン風の論評

このnote.com/kinguncle45というページ——いや、正確には「このページ」という呼び名自体がすでに一つの言語遊戯にすぎないのだが——を眺めながら、私たちは言葉の使い方を、ただ眺めている。

Kingと名乗るこの「考える葦」は、自己紹介や「難しい専門用語について」、フォロワーさんのnoteを読んだ感想、チップ募集のネタ、音楽の思い出、ミラクルラッキー教団なる架空の(?)教団の広報活動などを、断片的に置いていく。そこに体系的な哲学書のような大仰な構築物は見当たらない。ただ、日常の言葉で、日常の経験を、日常の仕方で並べている。

言語の使用に注目せよ

「難しい専門用語について」というノートでは、論理学の「命題」や仕事の「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」を、5W1Hで噛み砕けと書いている。これはまさに後期ウィトゲンシュタインが言うところの言語遊戯への注意である。言葉は辞書的な定義で固定されるのではなく、繰り返し使われる実践の中で、その意味を獲得する。足し算を自然にできるようになるように、抽象語も「血と肉に」しなければ使えない——これは「意味は使用である」という命題(いや、命題という言葉自体をここでは慎重に扱わねばならないが)を、日常の学習経験から素朴に体現している。

Kingは哲学の専門用語を振り回さない。むしろ、専門用語が生活形式の中でどう機能するかを、介護や教育バイトや資産運用という自分の生活形式から語っている。言葉が迷わせるのではなく、言葉を使って迷いを解消する方向へ向かっている点が、ウィトゲンシュタイン的だ。

家族的類似と「ミラクルラッキー教団」

「ミラクルラッキー教団の団長兼広報担当」と自称しつつ「ネタです、面白かったらラッキーです」と断る書き方。チップを募りながら「特になにもプレゼントできません……ただKingがラッキーというだけ」と言う。ここには家族的類似が見て取れる。宗教、教団、ネタ、ジョーク、自己パロディ、助け合い、乞食——これらは厳密な定義で一つの「もの」ではないが、重なり合う類似性によってゆるやかに結びついている。

ウィトゲンシュタインならこう言うだろう。「『教団』という言葉の意味を、定義によってではなく、その言葉がこのページでどう遊ばれているかによって見よ。」それは本気の宗教でもなく、単なるジョークでもなく、Kingの生活形式の中で「ラッキー」を祈るような、軽やかな実践なのだ。ボタン電池代やうまい棒のくだりは、崇高さを意図的に崩すことで、かえって親しみやすい言語遊戯を生み出している。

私的言語ではなく、共有された生活形式

音楽のノートでは、Bon Jovi、Nirvana、2Pac、Skrillexといった固有名詞が、Kingの中学生時代や20代の感情、社会的文脈と結びついて語られる。言葉はここでも孤立した「内的な感覚」を指すのではなく、共有可能な生活の断片を呼び起こす道具として機能している。サブスクで昔の曲を再生すると「その時代の自分がよみがえってくる」と言うとき、Kingは私的言語の不可能さを、暗に認めている。内的な経験は、公共の言語(曲名、ジャンル、当時の社会状況)を通じてしか他者とつながり得ない。

フォロワーさんのnoteを読んで「人生の少なくない部分を何かに費やしている」「エッセンスを絞り出している」と感じる箇所も同様だ。そこには、他者の言葉が自分の生活形式と響き合う瞬間がある。寅さんのバナナ叩き売りの喩えは、哲学的というより、日常の言語遊戯として極めて効果的だ。価値は「内容」だけではなく、提示の仕方、つまり言語の使用の仕方にある。

結びに代えて——梯子を蹴飛ばす

このページ全体に流れるのは、大きな理論を立てようとしない謙虚さと、しかし言葉で何かを伝え、共有し、笑い、助け合い、ラッキーを祈る生の肯定である。ウィトゲンシュタインが『哲学探究』で哲学的問題を「療法」によって溶かそうとしたように、Kingのノートは大げさな哲学的病を患わず、ただ日常の言語の中で生きている。

ここに「哲学」があるとすれば、それは体系ではなく、活動である。noteを書くこと、読むこと、チップを募ること、ネタを飛ばすこと——これらすべての言語遊戯を通じて、Kingは「天は自らを助くる者を助ける」という古い言葉を、自分の生活形式の中で新たに使っている。

我々はこれを見て、何か特別な「意味」を探す必要はない。ただ、このページで言葉がどう使われているかを、注意深く、好奇心を持って見つめればよい。それが、後期ウィトゲンシュタインが我々に残した最も重要な招待状である。

(そしてこの論評自体も、また一つの言語遊戯にすぎないことを、忘れてはならない。)

投稿者: King | 天は自らを助くる者を助けるらしい

中卒→偏差値80、介護しながら哲学しつつ、教育関係のバイト&資産運用中。 ミラクルラッキー教団の創始者(?)がネタで考えたメモを置いてます😆 判断と線引きの思考のセーブデータ📝

コメントを残す